つぶやきより少しだけ長い何か。

忘れたくない感覚の記録

小説が読めなくなって、本棚本ばかり読んでいる。

40代に入ってから、読書の傾向にはっきりとした変化があって、平たくいうと、小説を読まなくなった、というか読めなくなった。

 

本屋やインターネットで話題になっていたり、何かしらの賞を取った小説、これまで好んで読んでいた作家の続編など、いろいろ手にとって読み始めてみても、どうも話にすっと入っていけない。どんな話も何だかリアリティを感じないというか、どこか冷めた目で読んでいて、読み進めていくほどに興味を失ってしまう。

 

40代になるまでの人生で、転職した会社が転職前の会社を買収したり、離婚して親権を争ったり、ツイッターがきっかけで結婚したりと、自分の人生にもそれなりにユニークな出来事があったせいで、自分よりも若い世代の人が考えた作り物の話を読んでも、前ほど感情が動かされたり、何かを得られたという感触が少なくなっているせいかもしれない。

 

小説は読まなかったけど、本を読みたいという衝動は失われていないので、代わりに何を読んでいるかというと、自分と同じような本好きの書いた、本の紹介本、いわゆる「本棚本」ばかりを読んでいる。そんな本棚本の中で、最近読んで面白かったものをいくつか挙げていく。

 

「中年の本棚」萩原魚雷

ニートブロガーのphaさんが、去年の読書まとめの記事か何かでおすすめに挙げていた本だ。中年に差し掛かった文筆家の著者が、中年の生き方に迷いを感じて、中年をテーマにしたいろんな書籍を紹介している。

 

中年について書いた小説や本を自分で見つけるというのは、結構難しい。世の中で話題になっているベストセラーの小説やビジネス書は、大体が20代から30代をターゲットにして書かれたものがほとんどだ。

 

なので、この本は自分がまさに直面している状況について書かれた、自分が知らない本を沢山教えてくれるというだけで、ありがたい一冊だ。

 

「娼婦の本棚」鈴木涼美

東大院からセクシー女優、日経新聞社などを経た異色の文筆家、鈴木涼美さんによる本棚本。彼女の本はこれまでよく買っていたので、本棚本にも当然興味を持って購入。

 

いろいろな方の本棚本を読んでいくと、文筆業にいる方や本好きの人が幼少期に読んでいた本に、たびたび重複が見られることに気付く。

 

例えば、鈴木さんが幼少期に読んで記憶に残っていると書いている本の一つ、井上ひさしの「ブンとフン」は、「負け犬の遠吠え」で有名なエッセイスト、酒井順子さんも幼少期のお気に入りに挙げていた。

 

そんな重複を見つけると、つい「自分の子にも。。」と同じ本を買い与えてしまうのも親の性。そうして買った「ブンとフン」は、多分うちの子どもにとっても、今年最もお気に入りの本の一冊だ。

 

「この30年の小説、ぜんぶ」高橋源一郎 斎藤美奈子

小説家の高橋源一郎さんと評論家の斎藤美奈子さんが、雑誌「SIGHT」で「ブック・オブ・ザ・イヤー」という対談をした記事をまとめて書籍化したもの。

 

最近では「ビブリオバトル」なんて言葉まで出始めているように、本についての対談は、聞いているのも読むのも楽しい。それが、歴戦の小説家と評論家によるものならば、言うまでもない。

 

本では単なる小説の書評だけではなく、小説が刊行された前後に起きた重大な出来事(震災とかコロナとか)を紐づけて紹介しているので、時代背景がどのように小説に影響を与えているのか、についても併せて読めたのが面白かった。

 

「千年の読書」三砂慶明

職場が近いので、私もよく通っている梅田の「蔦屋書店」の書店員さんが、自らの読書歴を淡々と綴られている本棚本。もともとは仏教に特化した書評本の予定だったものが、一度企画が頓挫したあとに、対象を広げて再構築されたものらしい。

 

それまで自分に何のゆかりがなかった人でも、本への愛情の深い人の読書遍歴を辿るのは、やっぱり楽しい。「本に人生を何度も助けられてきた」と冒頭で語る著者が紹介する書籍は、哲学・科学・経済・宗教と多岐の分野に渡るが、決して意味もなく乱読しているのではなく、その人の生き方とリンクした「文脈」があることが分かる。

 

著者本人が直接語るのではなく、著者が読んだ本を通して、その人の人となりや人生を想像する。そんなことができるから、本棚本を読むのは愉しいのかもしれない。だから小説を読むことには飽きてしまっても、本棚本を読むことはやめられない。